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神戸地方裁判所尼崎支部 昭和59年(ワ)320号 判決

主文

1  第一事件被告らは原告に対し、原告の有限会社芦屋寶盛館に対する出資持分が一〇〇口であることを確認する。

2  原告の第一事件被告らに対するその余の第一事件の主位的、予備的各請求を棄却する。

3  原告の第二事件被告に対する第二事件の請求を棄却する。

4  訴訟費用は、第一事件、第二事件を通じ、これを四分しその三を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

(第一事件)

1(主位的請求)

被告らは原告に対し、原告の有限会社芦屋寶盛館(以下、被告会社という)に対する出資持分が二〇〇口であることを確認せよ。

(予備的請求)

被告らは原告に対し、原告の被告会社に対する出資持分が一五〇口であることを確認せよ。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

(第二事件)

1 被告会社は原告に対し、原告が被告会社の代表取締役の地位にあることを確認せよ。

2 訴訟費用は被告会社の負担とする。

二  被告ら(第一、第二事件とも)

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  第一事件請求原因

1  原告は、昭和二一年五月二五日訴外株式会社宝盛館書店より同社芦屋支店の営業を譲受け、芦屋寶盛館として書籍販売業を開始した。

2(1)  原告は、昭和二七年三月一三日右営業を法人組織とし有限会社芦屋寶盛館として被告会社を設立した。

(2)  右設立の出資関係は、定款上、田〓謙二、原告及び上野修の共有している芦屋市公光町五四番地の四宅地六一・六二坪(評価二四万六四八〇円)(以下、本件土地という)と兵庫県東部教科用図書協同組合の出資持分二五口(評価五万円)を現物出資し、被告会社に対し、

田〓謙二 一〇〇口

原告 一〇〇口

上野修 一〇〇口

の出資持分を有することとされている。

(3)  しかし、本件土地は昭和二六年四月原告が坪八〇〇〇円で買受け、上野修名義で一旦取得した後、昭和三二年三月一七日被告会社に名義を移転しており、また兵庫県東部教科用図書協同組合の出資持分二五口も原告が所有していたものである。

即ち、田〓謙二や上野修は、右会社設立に際しては何ら出資しておらず、名義を借してもらっていただけなので、実質的な出資持分は原告三〇〇口となる。

3  その後、昭和三二年三月一七日、上野修名義の出資持分を被告抜井茂夫(以下、被告抜井という)が取得したので、原告は被告会社の出資持分を二〇〇口有することとなった。

4  仮りに、出資持分が定款どおりであるとしても、昭和五八年七月一四日田〓謙二が死亡したことにより同人所有の出資持分を長男である原告と長女である抜井友子(以下、友子という)が二分の一ずつ相続した結果、原告は被告会社の出資持分を一五〇口有していることとなる。

5  田〓謙二死亡後、原告と友子との間で遺産分割の協議が調ったので、同協議書に押印の上、これに基づく登記手続をなすべく昭和五九年二月二三日ともに司法書士事務所に赴いたところ、友子は相続問題とは何の関係もないのに、原告の被告会社に対する出資持分を同女に譲渡しなければ右協議書に押印できないといいだした。

そこで、同日社員総会を開いて話合うことになり、被告抜井、友子、原告及び顧問の鳩公認会計士が原告方に集合した。ところが、同公認会計士は原告の出資持分の譲渡につき何らの協議もしないのに、社員総会の議事録を作成した。原告は、原告の出資持分一〇〇口を被告抜井に譲渡する旨の議事録に署名押印したが、これに応じなければ友子が遺産分割協議書の押印を拒否する態度であったためやむなくしたものであり、もともとそのような意思はなかったものである。

6  被告会社は同会社の出資持分保有状況を被告抜井二〇〇口、友子とその子三名の合計で一〇〇口として原告の出資持分をすべて否定しており、被告抜井は昭和五九年二月二三日の右社員総会で原告の出資持分一〇〇口を譲受けたとし、かつ原告の出資持分はないと争っている。

7  よって、原告は、被告らに対し、原告の被告会社に対する出資持分が二〇〇口ないし一五〇口であることの確認を求める。

二  第一事件請求原因に対する答弁

1  請求原因1の事実は不知。

2  同2(1)の事実中、被告会社の設立年月日を認め、その余は否認する。設立者は田〓謙二、原告、上野修の三名である。

同2(2)の事実は認める。定款上も実際上も右の事実のとおりである。

同2(3)の事実は否認する。

本件土地は組合芦屋寶盛館が買受けたものである。また、出資持分も同組合の所有するものである。そして、右組合から被告会社が出資を受けたものである。

3  同3の事実中、昭和三二年三月一七日上野修名義の出資持分を被告抜井が取得したことを認め、その余は否認する。

4  同4の事実は否認する。

5  同5の事実は否認する。

6  同6の事実は認め、同7は争う。

三  第一事件の抗弁

1  昭和三二年三月一七日現在の被告会社の出資持分の保有状況は、原告一〇〇口、田〓謙二 一〇〇口、被告抜井一〇〇口であったところ、田〓謙二が生前中にその出資持分一〇〇口を同人の長女友子、同人の孫で被告抜井と友子との間の子である抜井正博、同抜井悦子(後に結婚して和田浜悦子)、同抜井康樹の四名に昭和五四年一二月三〇日、昭和五五年一二月三〇日、昭和五六年七月二一日の三回に分けて各合計二五口宛贈与した。

2  右については、被告会社の社員総会の承認を経ておらず、当時承認を得なければならないとの認識はなかったけれども、次の理由により右贈与は有効である。

(1) 有限会社法一九条二項の立法趣旨は人的要素の強い有限会社にあっては新しく社員を入れる場合、この人的要素に障害のある人物を排除する目的である。従って、本件のように贈与者がその子(原告の妹で被告会社の代表取締役の妻)及び孫に対して贈与するものであって人的要素に障害を及ぼすおそれのない場合には、社員総会の決議がないからといって、これの贈与ないし入社を無効とすべきでない。

(2) 右の贈与ののち、近親者同志である原告をはじめ被告会社社員全員はこの贈与を認め、かつこれらの受贈与者を被告会社社員として認めてきた(例えば、乙第一号証、第二号証の一及び遺産分割協議の際)。

被告会社のような近親者だけの小規模な有限会社にあって、右のように社員全員がその持分譲渡を結果的に承認している場合においては、形式的な社員総会の承認決議がないからといって右社員持分権譲渡を無効とすべきではなく、実質的な意味での社員総会の承認があったものとして有効とされるべきである。

(3) 被告会社は昭和五九年二月二三日午後に受贈与者を新社員と認め、新社員と出資口数を定款変更する旨議決している。これによって追認されたこととなるから、有効である。

(4) 原告は、田〓謙二からの右社員持分譲渡につき、社員総会の承認の欠缺を問題にすることが可能であったにもかかわらずそれをせず、その有効性を承認していたものである。原告が本訴においてはじめて右社員持分譲渡に対する社員総会の承認の欠缺を主張することは信義誠実の原則、禁反言の法理等に照し許されないと言うべきである。

3  原告は、昭和五九年二月二三日、原告方において、被告抜井に対し、原告が当時有していた被告会社の出資持分一〇〇口を譲渡した。

四  第一事件の抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実を否認し、2の事実は否認し、主張は争う。

有限会社法一九条二項は譲渡の相手が親族であっても別異に解する理由はない。仮りに右譲渡が有効とすれば、原告は当時田〓謙二名義の出資持分をも含めて三分の二の社員権を行使しうる立場にあったのにそれが三分の一に縮減されるという重大な不利益を受けることになるからである。これこそまさに右同条の適用を受けるべき場合である。

なお、原告は乙第一号証、第二号証の一作成の際や遺産分割協議の際に贈与を認めたことはない。抗議している。

また、原告が右の贈与を知ったのは昭和五八年一二月一八日で、原告はこれを認めていない。

2  同3の事実は否認する。

五  第一事件の再抗弁

本件出資持分譲渡行為は、原告の窮迫、軽率な心理に乗じて、被告らが不当な利益を博する行為であり、公序良俗に反し、無効である。

(1)  すなわち、原告と友子との間では、昭和五九年初めより亡田〓謙二の遺産分割協議が進められていたが、昭和五九年二月二三日に遺産分割協議に調印する運びになっていた。

(2)  原告はもともと遺産分割協議と被告会社の出資持分の譲渡は別問題で、出資持分の譲渡を父の遺産分割協議にかかわらしめるべきではないとの考え方を有しており、父の遺産分割協議の際に原告が所有する被告会社の出資持分も一緒に譲ってほしいとする友子と意見を異にしていた。

(3)  そこで、昭和五九年一月三〇日、同年二月九日、同年二月一六日と遺産分割協議が行われ、一月三〇日には遺産の対象物が確認されたが、友子からは原告の所有する被告会社の出資持分を譲渡してほしい旨の申出があった。

二月九日には、友子は出資持分の評価に関し、法人税申告書控及び決算書を持参することとなっていたが持参せず、被告会社の出資持分の評価に関する書面(甲第七号証)を呈示し、同評価額で譲ってほしい旨申し出た。

原告は、計算の基礎に疑問があるとして、翌日鳩公認会計士に右書類の作成の確認に行った。さらに二月一六日には友子より、遺産分割協議にあたり御影の土地を路線価の二倍と評価して遺産分割を行うべきであるとの要望が出され、原告もこれを受け入れた。

被告会社の株についても、右同様に土地を路線価の二倍として計算しなおし、別途協議することとなった。

(4)  ちなみに、被告会社の出資持分の評価は、原告が現物出資した土地だけでも路線価の二倍とすると約一億円以上もし、出資持分の一口の評価は三〇万円を下らないものであり、一〇〇口だと三〇〇〇万円以上となる。

(5)  ところで、右遺産分割協議を通じて、友子は常々、原告が所有する被告会社の出資持分を無償で譲渡すれば、父の遺産については放棄する旨の発言をしていた。

(6)  原告としては、遺産分割協議と出資持分の譲渡は別問題と考えていたが、友子はあくまで両方を同時に解決するとの態度を崩さず、遺産分割協議が暗礁に乗り上げたが、昭和五九年二月一七日に原告は、三和銀行の菅野の意見を聞き遺産分割協議で友子が遺産を放棄するならば出資口数一〇〇口を額面額である一〇万円で譲ることを決意し、その旨鳩公認会計士に伝えた。

(7)  ところが、鳩公認会計士や友子からは返事がなく原告は、やはり友子としては遺産分割協議による遺産を取得することを選択したものと考え、友子に手渡すべき代償一八二三万七五七〇円を銀行で準備し、銀行保証小切手まで作成して、昭和五九年二月二三日に遺産分割協議書の調印におもむいた。

(8)  ところが、原告の予期に反し、友子より原告が有する被告会社の出資持分の譲渡がなければ遺産分割協議書に調印できないと調印を拒絶された。

(9)  この事態を受けて、原告は逆上し、つらつら思ううち、被告会社の社員総会が一度も開催されたことがないことに思い至り、そのことを追求する意図で社員総会の開催を要求し、社員総会が開かれることとなった。

ところが、何ら議事も進めず、社員総会の実質もないまま、また原告の意思も何ら確かめもせずに、いきなり鳩公認会計士が勝手に何かの書類を書いてそれを読み上げた。

その内容は原告が何らその場で発言もしていない被告会社の原告の出資持分を友子に譲渡するというものであった。

これにさらに腹を立てた原告は、遺産の放棄をしない以上友子に譲渡する意思がないことを明らかにする意図のもとに「友子にやるくらいだったら、抜井茂夫にやる」とつい口に出してしまった。

この発言を聞いた鳩公認会計士は、誰からの指示もないのに、今度は抜井茂夫に譲渡するという出資譲渡届、及び社員総会議事録(乙第一号証、第二号証の一)を作成し、原告に署名、押印を求めた。

原告は腹が立ったことからつい「友子にやるくらいだったら、抜井茂夫にやる」と言ってしまったことから、ひっこみがつかなくなり、右書面に真意もないのに署名、押印してしまったものである。

(10)  すなわち、原告の乙第一号証、第二号証の一の署名、押印は原告の真意にもとづかないものであり、被告抜井や友子は、三〇〇〇万円以上の価値のある原告所有の被告会社出資持分をほとんどただのような価格で譲渡しなければならないように原告を追い込み、原告の困惑や激怒あるいは投げ遣りな態度に付け込んで、三〇〇〇万円以上の価値のあるものをわずか一〇万円で譲渡する旨の書類に原告に署名、押印させ、この一〇万円すら原告は受け取っていないのに、原告の被告会社の出資持分を取得し、不当な利益を得たものであり、これは暴利行為として公序良俗に反するものである。

六  第一事件再抗弁に対する認否

原告の再抗弁は争う。

原告の右主張は時機に遅れた主張であり、許されないものである。また、右出資持分の譲渡はその時の諸事情のもとにおけるお互いの了解のうえで、額面金額によってなされた適法な行為である。

(1)  再抗弁(1)、(2)の事実は認める。

(2)  同(3)の事実は否認する。

(3)  同(4)の事実は否認する。右は負債を考慮せず、単に資産たる土地の価額のみをもって出資持分の評価を行うもので失当である。

(4)  同(5)の事実中、友子が父の遺産を放棄する旨発言していたことを否認し、その余は認める。

(5)  同(6)の事実中、原告が昭和五九年二月一七日鳩公認会計士に出資持分一〇〇口を額面の一〇万円で譲ることを連絡したことを認め、その余は不知。

(6)  同(7)の事実は不知。

(7)  同(8)の事実は認める。

(8)  同(9)の事実は否認し、同(10)は争う。

七  第二事件の請求原因

1  原告は、昭和二七年三月一三日被告会社の設立と同時に代表取締役に就任した。

2  ところが、昭和三二年三月三〇日付で原告が代表取締役を辞任した旨の登記が経由されている。

3  しかし、原告は被告会社の代表取締役を辞任したことも同社取締役会で解任されたこともない。

4  よって、原告が被告会社代表取締役の地位にあることの確認を求める。

八  第二事件の請求原因に対する答弁

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3の事実は否認し、同4は争う。

九  第二事件の抗弁

1  昭和三二年三月一七日、被告会社社員総会において、抜井茂夫が同社代表取締役に選任され、原告は同社代表取締役を辞任した。

2  有限会社においては、取締役は各自当然に代表権限を有するものであり、代表取締役制度は取締役の中から特定の者を会社を代表すべき取締役として特に定めるものである。

仮りに、右社員総会において、抜井茂夫が代表取締役に選任されたのに原告も引続き代表取締役の地位にとどまるとすれば、二名の取締役全員がともに代表取締役となってしまい、右社員総会において特に抜井茂夫を代表取締役に定めた意味がなくなり、且つ、有限会社法の代表取締役制度を定めた趣旨に反するものとなる。従って、右社員総会において、被告会社取締役である抜井茂夫と原告の二名のうち抜井茂夫が代表取締役に選任されたことにより、原告は当然に代表取締役を辞任したものとなるのである。

そこで、同月三〇日に原告の辞任の登記がなされたものである。

なお、右社員総会議事録の末尾に「有限会社芦屋寶盛館社員総会、議長代表取締役田辺繁、出席代表取締役抜井茂夫」と記載された名下に押印されているのは、この社員総会開催時における代表取締役であり議長をつとめた原告と、この社員総会によって新社員・新取締役・新代表取締役となり総会に出席した抜井茂夫とがともに記名押印したものである。

3  昭和三二年三月一七日の右社員総会以降今日まで、原告が被告会社の代表取締役の職務を行ったことは実質的にも形式的にも皆無であって、原告は右社員総会によって代表取締役を辞任したことを熟知していたものである。

4  右社員総会決議及び登記以降三〇年以上を経過して、また、原告主張のように昭和五九年五月になって初めて知ったとしても今日まで四年間放置していたのであって、法的安定を重く配慮すべき会社法関係においては、本訴請求自体、失効の原則に該当し、信義則違反、権利の濫用にあたる。

一〇  第二事件の抗弁の認否

1  抗弁1の事実は否認する。そのような社員総会は開かれていない。そのような体裁をつくろった書面(議事録)が作成されたものである。

2  同2の主張は争う。

原告としては、原告が代表取締役を続けることを前提として、かつもう一人の代表取締役抜井茂夫を選任したものである。

3  同3の事実は否認する。

原告は、被告会社のために、有形、無形の援助をしてきた。また、原告は昭和五九年(ワ)第三二〇号事件を提訴するにあたり、被告会社商業登記簿謄本を取寄せて、始めて自己に被告会社の代表権のないことを知り得たのである。

4  同4は時間的経過を認め、その余は争う。

一一  第二事件再抗弁

1  原告が抜井茂夫を被告会社の代表取締役に選任することに同意したことによって、自己の代表取締役としての地位も失ったというのであれば、原告が右抜井の代表取締役選任に同意したときには、原告にはそのことによって自己の代表取締役の地位を失うことは全く考えていなかったことであり、原告の右抜井の代表取締役選任に同意した意思表示は、その重要な部分に錯誤があり無効である。

2  右抜井は、自己が代表取締役に選任されることによって原告が代表取締役の地位を失うことになることを原告に告知せず、原告の無知につけ込んで原告を欺き、原告に自己の代表権は失われないと錯誤させたもので詐欺であるから、本訴において、右同意の意思表示を取消す。

一二  第二事件再抗弁の認否

再抗弁1、2の事実は否認する。

第三  証拠(省略)

理由

一  第一事件請求原因1の事実は原告本人尋問の結果(一回目)によって成立を認めうる甲第一号証、第八号証、原本の存在と成立を認めうる甲第六号証及び原告本人尋問の結果(一、二回目)によってこれを認めることができる。

二  同2(1)の事実中、被告会社が昭和二七年三月一三日設立されたことは当事者間に争いがない。

そして、原本の存在・成立に争いのない甲第四号証によれば、設立者は田〓謙二、原告、上野修となっているが、原告本人尋問の結果(一、二回目)によれば、実質的には原告が設立したものと認められる。

同(2)の事実は当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第二号証、弁論の全趣旨によって成立を認めうる甲第一三号証、被告代表者(被告抜井、以下同じ)本人尋問の結果、及び原告本人尋問の結果によれば、本件土地は昭和二六年四月原告が上野修名義で取得した後昭和三二年三月一七日被告会社に名義を移転し、また、兵庫県東部教科用図書協同組合の出資持分二五口も組合芦屋寶盛館成立以前から原告が所有していたものであることを認めることができる。右認定に反する被告代表者本人尋問の結果は採用しない。そして、これに前記甲第四号証(乙第一二号証)、乙第一三、第一四号証を併せてみれば、原告が田〓謙二と上野修の名義を借りて三名で現物出資したとして被告会社の定款と附属書類が作成されたものと認められる。乙第二〇、第二一号証は右認定を覆えすに足りない(右証拠によれば、組合自体も形式上のものであって、乙第二〇号証は本件土地や出資持分を書類上計上しているのみと認められる。)。

三  第一事件請求原因3の事実中、昭和三二年三月一七日上野修名義の出資持分を被告抜井が取得したことは当事者間に争いがないので、この時点で原告は被告会社の出資持分二〇〇口を有することとなる。

また、第一事件請求原因6の事実は当事者間に争いがない。

四  抗弁1、2の事実については、右の次第で田〓謙二には実質的には出資持分がないので、形式的に贈与があっても権利は移転しないものと考えられる。

五  そこで、原告の出資持分二〇〇口のうち一〇〇口が昭和五九年二月二三日に原告から被告抜井に譲渡されたか否かについて検討する。

成立に争いのない乙第一号証、第二号証の一、第三号証の一ないし四、証人抜井友子の証言によって成立を認めうる甲第一一号証の一ないし四、証人抜井友子、同西川順造の各証言及び被告抜井茂夫本人尋問の結果によれば、昭和五九年二月一六日午前一〇時頃株式会社宝盛館本店(以下、宝盛館本店という)で鳩泰一公認会計士(以下、鳩という)、西川順造、原告、友子が遺産分割の協議をすることとなり、友子が分割案を出し、土地の評価を路線価の二倍とすることに原告も同意し、鳩が財産評価として、預金四二八万二三六三円、有価証券九四万一六七八円、株券三八万三〇〇〇円、土地四六一四万三八〇〇円、計五一七五万〇八四一円とし、これを原告と友子が各二分の一宛取得する旨の確認書を作成したこと、原告はこれに異議はなかったが、これについて友子が被告抜井と相談するとして押印を留保し原告も押印しなかったこと、翌二月一七日朝、友子から、原告名義の被告会社の出資持分の譲渡を遺産分割協議書に入れるか、同協議書の調印と同時に履行されねばならない旨鳩に申入れ、これを鳩が原告に伝えたこと、同日夕刻原告と妻が鳩事務所を訪れ、財産の評価、分割方法は確認書通りでよい、未払相続債務は相続税法上認められたものを計算する、被告会社の原告名義の出資持分は評価を一〇万円とし、遺産分割協議の調印と同時に譲渡の調印をする旨鳩に申入れ、鳩が友子にこれを伝えた結果話合いがまとまったこと、同月二三日午前一〇時に宝盛館本店に原告、友子、被告抜井、西川、鳩が集り、原告、友子、鳩が古米司法書士事務所に赴き、同事務所で原告が友子に小切手を渡したが友子はこれを返却し、古米司法書士から提示された分割協議書については数字に問題はなく、友子からの申入れで一部訂正がなされたのみで原告はこれを了承したが、友子は原告の被告会社の出資持分一〇〇口を調印と同時に譲渡するということだったのにその記載がないとして調印を断ったこと、原告は遺産分割協議書の調印が出来なかったことを残念がり、社員総会を開いて出資持分譲渡の事実を明確に議事録に記録しておきたいとし、原告方に原告、友子、被告抜井、西川、鳩の五人が集り、原告が議長は被告抜井だと言い友子に社員総会を開くに至ったいきさつの説明を求め、友子は「原告の持って居る被告会社の出資持分一〇〇口の譲渡ができなかったので遺産分割協議書に調印できなかった、それで右一〇〇口の譲渡を明確にするために社員総会を開く」旨説明した。そして、鳩が、この趣旨に従い、原告の持つ被告会社の出資持分一〇〇口を友子に譲渡する旨の出資譲渡届、社員総会議事録を作成したところ、原告は友子でなく被告抜井に譲渡する旨発言し友子がこれを了承したのでその旨訂正した、原告は友子に、友子が遺産分割協議書に印を押して古米司法書士事務所に届け、同事務所より受取った旨電話が入れば右書類に押印すると言い、友子がこれに従って古米事務所に赴き、古米事務所の事務員から受取った旨電話があって友子が原告宅に引き返して来たので原告が右二通の書類に押印した、このようにして乙第一号証の出資譲渡届、乙第二号証の一の社員総会議事録が作成されたこと、その際、右のように乙第三号証の一の遺産分割協議書の押印もなされていることがそれぞれ認められ、証人田〓千代子の証言、原告本人尋問の結果(二回目)によれば、右同日に原告から友子に遺産分割協議書のとおり友子の相続分の代償として金一八二三万七五七〇円が支払われたことが認められる。右認定に反する部分の甲第一八号証、証人田〓千代子の証言、原告本人尋問の結果(一回目)は採用しない。

弁論の全趣旨によって成立を認めうる甲第一八号証、証人田〓千代子の証言及び原告本人尋問の結果(一回目)によれば、原告は、当時、原告の被告会社の出資持分一〇〇口を遺産分割と同時に譲るつもりはなく、後日譲るつもりでいた、友子は出資持分を譲渡すれば相続を放棄するものと思っていた、昭和五九年二月二三日の社員総会は被告会社の営業状態がよくないのでそれを述べるつものであった旨(なお、原告本人尋問の結果((一回目))では出資持分を譲渡する話をすれば遺産分割がスムーズにいくと思った旨述べている)述べるが、前記認定のような経緯で乙第三号証の一の遺産分割協議書が作成・押印され、乙第一号証の出資譲渡届、乙第二号証の一の社員総会議事録が作成・押印されたこと及び遺産代償金の支払もなされていること、原告が当時そのような認識でいたとしても、これを相手方に表示していないことからして、結局は右譲渡を承諾したものと解されるので、その後になってこれを覆えすことは出来ないものと考えられる。

従って、第一事件抗弁3の事実はこれを認定することができる。

六  次に第一事件の再抗弁についてみるに、再抗弁(4)の事実は、被告会社の所有する本件土地のみで出資持分を評価するもので妥当ではなく、甲第七号証も乙第一七号証も被告会社の純資産を表わすものとして正確なものか否かに疑問があって採用できず、他に被告会社の純資産を表わす証拠はない。

また、前記五で認定した事実からみれば、原告の出資持分の譲渡は、原告の自由な意思により、自分で額面金額で譲渡する旨決定し、被告抜井、友子と互いの了解のうえでなされたものと解され社会的にも妥当な行為と解される。

七  第二事件請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

第二事件の抗弁1の事実についてみるに、成立に争いのない乙第一五号証、被告抜井茂夫本人尋問の結果によって成立を認めうる乙第一六号証、証人抜井友子の証言及び被告抜井茂夫本人尋問の結果によれば、少くとも、抜井茂夫を代表取締役に選任する旨の書面による社員総会の決議がなされたと認めることができ、右認定に反する原告本人尋問の結果(一、二回目)は採用しない。

そして、当裁判所は、被告の抗弁2の法律見解を相当と解するので、抜井茂夫が代表取締役に選任されたことにより、原告は代表取締役を辞任したことになるものと解する。

八  第二事件再抗弁1についてみるに、原告本人尋問の結果(二回目)によれば、原告は、同人が抜井の代表取締役選任に同意した際には、それによって自己が代表取締役の地位を失うとは考えていなかったことが認められるけれども、原告も代表取締役に留まる意思であることを当時表示していたことを認めるに足りる証拠がないので、動機の錯誤にすぎず理由がない。

第二事件再抗弁2についてみるに、抜井茂夫が原告の無知につけ込んで原告を欺いたことを認めるに足りる証拠がなく、また、弁論の全趣旨によれば抜井は、当時、自己が代表取締役になって原告が代表取締役を辞任したとの認識でおり、そのことを告知しなくても原告は当然そのつもりでいるものと認識していたものと認められ、欺罔行為を認めるに足りる証拠がないので、理由がない。

九  よって、原告の本件請求は、第一事件については、原告が被告らに対し、原告の被告会社に対する出資持分が一〇〇口であることの確認を求める限りで理由があるからこれを認容し、その余は理由がないので棄却することとし、第二事件の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

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